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安定という名の退屈を捨てた日
「いい会社に入ったね」「一生安泰じゃないか」
高卒で誰もが知る大企業に採用されたとき、周りはそう言って私を祝ってくれました。私自身も、これで人生のレールに乗れたのだと安心したのを覚えています。
しかし、現実はどうだったか。 そこにあったのは、世間がイメージする「輝かしいエリートの世界」ではなく、ただ静かに、生気を失った人々が並ぶ「展示場」のような光景でした。
7年という月日を経て、私はその「安定」を捨てました。 なぜ、私が恵まれた環境を自ら手放したのか。その理由を書き残したいと思います。
私が見たのは、色あせた「ドライフラワー」たちの姿
大企業にいて一番絶望したのは、「目標にしたい上司が一人もいない」ということでした。
彼らは、見た目こそ立派な肩書きを持ち、綺麗なスーツを着ていますが、中身はとうの昔に枯れている。私は彼らのことを密かに「ドライフラワー」だと思っていました。
- 自分の席を守るため、上司に気に入られることだけが仕事。
- 面倒なこと、責任が伴うことはすべて「誰か」のせいにする。
- 泥臭い実務や細かい仕事は「事務員にやらせればいい」と切り捨て、自ら学ぼうとする向上心はゼロ。
そこにいたのは、プロフェッショナルではなく、ただ「組織という大きな器」に飾られているだけの存在でした。
大企業の看板を「武器」ではなく「凶器」に使う人々
もっとも腹が立ったのは、その立場を利用した傲慢さです。
「大企業様」という看板を盾に、取引先に無理難題を押し付ける。自分たちが楽をするために、弱い立場の人を疲弊させる。そんな姿を間近で見ていて、心が痛みました。
「こんなふうになりたくて、ここに入ったんだっけ?」
そう自問自答する毎日。上司に気に入られれば安泰。波風立てなければ定年まで給料は保証される。でも、そんなマインドで過ごす時間は、私にとっては苦痛でしかありませんでした。
「安定」という言葉に、殺されないために
「定年まであと30年以上、この場所でこの人たちの顔色を伺って生きていくのか?」
そう思ったとき、背筋が凍るような恐怖を感じました。 私が求めていたのは、誰かに依存して守ってもらう「安定」ではありませんでした。
私が考える本当の安定とは、「明日、この会社がなくなっても、自分の腕一本で食っていける力」を持っていることです。
向上心のない人たちに囲まれ、責任転嫁のスキルだけが上達していく日々の中に、私の求める「安定」はありませんでした。
さいごに:レールを外れる勇気
7年という時間は、決して短くありません。 でも、このまま「ドライフラワー」の一員になる前に、自分の足で外の世界へ踏み出せたことを、私は誇りに思っています。
「大企業=安定」という神話は、もう終わりました。 もし、今の環境に違和感があるのなら、その直感は正しいはずです。自分の感覚を殺してまで守るべき「安定」なんて、この世には存在しないのだから。
【追記:大企業を辞めて、私が選んだ道】
大企業の看板を下ろす決断をしたあと、私は「転職するか、それとも起業するか」という大きな分岐点に立ち、悩み抜きました。
結果として、私は「起業」という道を選び、自らの足で歩き出すことに決めました。
安定した組織にいた私が、なぜリスクを取ってまで起業の道へ進んだのか。その具体的な経緯や、迷いの中で見つけた答えについては、[こちらの別記事(起業編)]で詳しくお話ししています。
ぜひ、併せて読んでいただけると嬉しいです。
起業のハードルが高いと感じる人は、こういった場所で転職先を探してみるのも
一つの手かもしれません。


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